車いす利用者は色々な病気の人がいて、単純に足に問題がある人、神経に問題がある人、脳に問題がある人、先天性の人、後天性の人といます。僕の場合は脳に問題があり、そして後天性です。ブログを更新しているのでパソコンもスマホも持っています。両方持っている事に対してたまに驚かれます。
驚く人は決まって健常者です。障がい者は先天性の人しかいないとか、車いす利用者は仕事をしていないとか思うんですかね?毎回、仕事をしている事を説明すると納得します(我が家の兄は、僕が仕事をしている事にビックリしていました。でも、兄嫁(特別支援学校教師)は何ら不思議そうではなかったです)
取り敢えず出来ないと思われる
何かをするにあたって、まず出来ない事を前提として決めつけられます。一人で電車に乗ったり、遠くへ出かけたりすることを危ないとか言われますが、過保護にも程がありますね。最初の頃は親もうるさかったのですが、最近はそうでもないですね。身の回りの事は全てできますから。
パソコン弄っているだけで・・・
パソコンを趣味でやってますと言うと、とんでもなくパソコンが得意だと思われるのが困るので、趣味を聞かれると、「インターネットしたりしてます」と言ってます。少しは勉強しましたが、パソコンが得意な人にしてみれば僕は初心者レベルの知識しかないでしょう。
意外と動ける
スピーディーには動けませんし、歩けない人は、立つことも厳しいのですが、体の可動域内ならある程度重い物でも運べます。時間がかかりますが、何かのついでに運ぶような場合は全く問題ありません。人が思っているよりも動けるんですが、時間が掛かるので動けない事にしているなんて人も中にはいるでしょう。
知的障がい者や精神障がい者が妙に上から目線
歩けるからなのか、妙に上からものをいう人がいます。一定以上の年齢の人に多いですね。身体障がい者で歩ける人も居ますが、上から目線という訳ではありません。
知的障がい者や精神障がい者って実はお互いをバカにしあっています。軽いと思っている中程度の人がそうですね。
気合を入れなければいけない事
こういった微妙な段差を上がったり下りたりする場合、一旦停止して気合を入れないといけません。そのまま行くと躓く場合がありますからね。重い扉よりも、こういった微妙な段差が一番気合が必要です。一番良いのは、歩道と道路がフラットになっている場合です。その場合は、気合を入れて段差を超える必要がありませんからね。
微妙な坂道
こういった微妙な上り坂の時が一番どうして良いのか判断が難しい所です。前から進むには疲れるけど、後ろ向きになるほどでもないし、後ろ向きの場合、短い急な上り坂では良いのですが、長くてゆったりした上り坂の場合は前(背中側)を確認するのが大変ですし、コントロールが難しいのであまりスピードは出せないのです。
自転車の人からすればなんともない坂道かもしれませんが、車いす利用者にとっては少し気合を入れなければなりません。
障がい者用を利用しなければいけない
車いす利用者でも、車いす生活が長い人って男の場合はトイレが普通のトイレに入った方が早い時があります。「小」の時がそうです。でも、人が多い所だとなんか周りに遠慮して障がい者用の多目的トイレを使わざるを得ないです。
電車の車いす、ベビーカー用スペース
僕が電車に乗ると、車いす、ベビーカー用スペースが不自然に空くときがあります。明らかにそこに移動する気がない事がわかっても空いたままになっていると、なんかそこに収まらないといけない気がしてきて、ついついそのスペースにいってしまいます。
予想外の困った事
車いすの目線って、女性がスカートで自転車に乗っていると中が丸見えになりそうな人がいます。見えそうで見えないなら良いのですが、相手が高校生や中学生だと困ります。何故なら、変にみてしまうとどんなトラブルに巻き込まれるかわからないからです。
聞いてどうする?
よく「押しましょうか?」「なにかお手伝いしましょうか?」とか聞かれます。ありがたいと思いながら、手伝ってもらう状況でもないので、「大丈夫ですよ。ありがとうございます。」って笑顔で言いますが、一度だけあったのが、トイレに入ろうとしたら、「一人で大丈夫ですか?誰か呼びましょうか?」ってスーパーマーケットで聞かれました。病院ならともかく、スーパーマーケットでその質問とは・・・「大丈夫です。ありがとうございます。」って返しましたが、気持ちはありがたいのだけど、誰を呼ぶつもりだったんだろう?
あとがき
車いす生活になってみないと分からない事もありますし、人それぞれ症状が違いますから、僕の思う事が全てだとは限りません。
ただ、ありがたいけれど、たまに対応が過剰だなぁと思う時があります。過剰な優しさは相手からすると、どうしてよいのか逆に困る事もあるんですね(断る時も、なんか悪い気になってしまいます。)