村上海賊ミュージアムは、2004年10月に開館して、大変多くの人々が訪れています。戦国時代の乱世を生き抜いた【村上海賊】の足跡をたどることのできる当館は、瀬戸内海随一の多島美を臨み、「日本最大の海賊」と称された村上海賊の記憶を肌に感じることができます。障がい者手帳を持っている人も、子どもから大人まで楽しく、やさしく村上海賊について学べるミュージアムです。
村上海賊とは?
村上海賊(村上水軍)は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。後世には三島村上氏などと呼ばれ、能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識を持っていた。
彼らは、海の難所である芸予諸島で育まれた海上機動力を背景に、戦国時代になると瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右した。来島城を本拠とする来島村上氏は伊予国守護の河野氏の重臣として活動した。因島村上氏は、周防国の大内氏に仕え、のちに中国地方の覇権を握った毛利氏の有力な海の勢力となった。
そしてここ宮窪に本拠を構えた能島村上氏が三家の中でもっとも独立性が強いとされ、特に村上武吉の時代には、毛利氏・大友氏・三好氏・河野氏といった周辺の戦国大名たちと、時に友好関係、時に敵対・緊張関係となりながらも独自の姿勢を貫いた。
日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、能島村上氏を‟日本最大の海賊“と称した。
武吉および息子の元吉・景親の時代に全盛を謳歌する能島村上氏は、西は北部九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握した。平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割を果たした。戦時には小早船を巧みに操り、「ほうろく火矢」など火薬を用いた戦闘を得意とした。また茶や香を嗜み、連歌を詠む文化人でもあった。
ところで昨今では、彼らを「村上水軍」ではなく、「村上海賊」と呼ぶことが多い。「水軍」は、江戸時代以降に用いられた呼称であり、明治から昭和初期には、近代海軍の前身と評価する見方が強かったため、このように呼ばれていた。しかし、「水軍」では彼らの多様な活動を表現できないため、最近では当時の古文書などに見える「海賊」と言う呼称を用いることが多くなってきている。
一般に「海賊」と聞けば、理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、いわゆる「パイレーツ」がイメージされるかもしれない。しかし、展示室をめぐるとき、「海賊」と呼ばれた人々が、必ずしもマイナスイメージで語られなかった時代があったことに気づくだろう。
公式ホームページより
営業時間
09:00~17:00(最終入館については触れていませんが、16:30だと思っておいた方が良いと思います。)
定休日
毎週月曜日(祝日の場合は原則翌日振替)
年末年始の12月29日から1月3日まで
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障がい者割引の対象者と内容
料金表
一般料金 | 障がい者割引適用後 | |
大人 | 310円 | 無料 |
高齢者 | 250円 | |
学生(高校生以下、または18歳未満は無料) | 160円 |
「身体障がい者手帳」「療育手帳」「精神障がい者保健福祉手帳」所持者及びその介助者(障害者1人につき1人に限る)は観覧料が無料。入館の際ご提示ください。記述はありませんが、障がい者手帳の等級や区分は関係ないのでしょうか?
バリアフリーについて
公式ホームページに「当館はバリアフリーに対応しています。」と記述がありますから、まず心配は必要ありません。多目的トイレも3階建ての建物の中に2つありますから問題ないでしょう。
交通アクセス
こちらの施設は電車だけだと難しいでしょう。車を使う、もしくは電車とバスを両方使う事となります。
車の場合
尾道・本州方面から(約3㎞)
大島北IC
⇩
村上海賊ミュージアム
今治・四国方面から(約10㎞)
大島南IC
⇩
村上海賊ミュージアム
事前に確認するようにして下さい
掲載している情報は参考程度にして下さい。お出掛けになる場合は公式ホームページで確定的な情報を得てから出掛けるようにしましょう。日本にも海賊がいたという歴史を学ぶ事が出来ます。
詳しくはコチラをご覧ください。公式ホームページ