前回の記事
良く事前に問い合わせをしたときに「車椅子でも大丈夫ですか?」って質問をします。そうするとたまに「入り口に少し段差がありますが、あとは大丈夫です。」って返ってきますが、外は段差があって、なんで中は大丈夫なんだろう?と思います。
逆パターンも良くあります。入り口にスロープついていて何で中に多目的トイレが無かったり、高い段差があるんだろうって場合もあります。
ですが、20㎝くらいの段差なら一人で何とかなります。
車椅子生活が長い人限定
車椅子での生活にある程度慣れている事が最低条件です。ある程度、自分が出来る事と出来ない事の判断が出来なければなりません。他にも両足がある程度使える必要があるとか、段差を越えた先にスペースがあるとか色々ありますが、後ろ向きに手と足を使って上る事でクリアする事が出来ます。僕は毎朝、そうやって最寄りの駅の手前の段差を超えています。離れた場所にスロープがあるんですけどね。
ここでも靴選びが重要となってくるんですよね。後ろ向きに上るってことは相当足に力を入れる事になるので、グリップ力がないと上がれません。
ある程度の段差を越えられるようになるだけで、行動範囲はかなり広くなります。その状態になるまで必要な年数は人によって違いますから、専門家でもない僕は余計に何も言えません。
電車も一人で乗れます
ある程度の段差を越えられるくらいになると、電車を使って移動するようになります。一人で行動する事が楽しくなります。それでも安全には気を使いますけど。誰かと一緒だと過剰に安全に気を使われるから鬱陶しいですよね。一人で行動しているとそう言った事が無くなりました。(当たり前ですけど)何が危険で、何が危険じゃないかくらいわかります。こう言うと健常者の人からは誤解がありそうですが、車椅子の人間は身体の障がいであって、知的や精神と知能まで一緒にされたくない。ほとんどの車椅子利用者が口には出さなくても思う事だと思っています。
話はズレますが、精神障がい者や中度くらいまでの知的障がい者は、だいたい根性が腐ってます。自分にやたらと自信持ってます。やたらとAVみます(男女問わず)差別は良くありませんが、良い人もいます(実際にそれなりに仲良い)が鬱陶しい人が大多数です。だから、批判はします。無視はしません。話しかけないだけです。向こうから声をかけれる障がい者は少ないでしょう。お互いに話さないので、向こうはこちらが無視したと被害妄想を持ち始めます。つまり、知的や精神の障がい者は大体歪んでいます。(知っている障がい者だけですけど。)
話を戻しましょう。駅員さんに「すみません。○○駅まで行きたいのでスロープお願いします。」と声をかければ良いだけです。介助者が居る場合でも、スロープを出してくれます。無人駅の場合は、行きは同じです。帰りは事前に近くの人がいる駅に電話して何分の電車に乗るか伝えておきましょう。
世間はそれほど差別的ではない
障がい内容にもよるのでしょうが、世間の人はそれほど冷たくも、差別的でも、無視したりもしないです。ただし、それは常識ある行動をする障がい者に対してのようです。非常識な行動をする人は、障がい者であろうと健常者であろうと批判を受けます。当たり前です。
知り合いのかなり体格の良い知的障がい者が、駅で高校生の女の子に抱き着いて、それを他の男子高校生が少し荒っぽい方法で止めたそうです。それ以来、その知的障がい者は時間をずらして来るようになりました。理由は、同じ電車に乗る高校生にいじめられた。とか言っています。僕も事の真相を知るまで信じていました。どう考えても知的障がい者が悪いし、そういう子を一人で行動させる親も悪いです。
同じことを同じ年齢の健常者がやっても似たような結果が待っています。
ですが、同じ駅から来る別の障がい者は普通に来ますし、「結構皆さん親切です。」と言っていました。
常識的な行動をすれば、世間はそれほど冷たくないです。むしろ結構親切です。
思い出せば親切な人が多い
段差を登ろうとしたら手伝いましょうか?って声をかけてくれる人、スーパーで上の段にある商品を取ってくれる人、ドア式のコンビニのドアを開けてくれる人。他にも細かく数えると沢山です。道路を渡ろうとしたら信号でもないのに止まってくれる人がいます。小さい親切は意外と溢れています。
まとめ
車椅子生活が長い人は、健常者が思うよりも色々と行く事が出来ます。少しくらいの段差は気にしません(流石に階段は無理です)。
車椅子生活が長くなればなるほど、靴の重要性が身に染みてきます。一人で行動するにはやはり最適な靴選びは重要ですね。
どうしてもできない場合は、自分から素直にお願いしましょう。世間はそれほど冷たくないです簡単な事なら手伝って貰えます。その際は「ありがとうございます。」を絶対に言いましょう。